最初の宅録は高校生のとき。
カセットに録音した自分の演奏を
再生しつつ。もう一台に録音。
これを繰り返し、自分の演奏が重なる
ことが楽しくなりました。
大学時代、バイトで貯めた金をつぎこみ
4チャンネルのカセットマルチを購入。
当時、20万円以上しました。
リズムマシンを使って、自分のオリジナル
の録音をしていました。
宅録の楽しさを知り、
将来、スタジオを作りたいという夢が
ふくらみました。
旧丸子町藤原田に自営の会社の倉庫が
ありました。

1990年
友人のドラマーが思い切りドラムを叩ける
場所がほしいと言うので、一角を囲って
ドラム練習場を作って貸しました。

この当時、僕は東京に住んでおり、
仕事の忙しい時期だけ
手伝いに戻っていました。

現在、この地はメルシャンワインに借り上げ
られて、ぶどう畑になりました。
1990年
このような部屋になりました。
それまで僕はリズムマシンを使って宅録
していましたが、友人が持ち込んだドラムで
練習しているうちに、生ドラムで録音したく
なり、録音機器を持ち込みました。
電気がひかれてなかったので発電機を使い
録音を始めました。
レコーダーはTEAC 244
(4チャンネルのカセットマルチ)
まだ東京に住んでいたので、帰省したときに
書き溜めた曲を宅録するという感じでした。
友人のドラマーがバンドを組むことになり、
(その頃僕はまだ東京に住んでいました)
発電機を使えば練習できるということで、
ギターアンプやベースアンプ、
ボーカルアンプが持ち込まれました。
僕は帰省すると、ここでドラムを叩いたり
ギターやベースを爆音で弾いていました。

この写真のアンプやキャビネットは、
現在のスタジオでも使われています。
その当時のメンバーから譲り受けたものです。

ちなみに上の写真のドラムも、後日、譲り
受けました。現在、スタジオで一部が活躍
しています。
1994年
友人がバンドを解散し、
機材を全て引き上げました。
その頃、僕はドラムに夢中になっていたので
中古ドラムを購入。
長野の小さい楽器屋が処分に困っていたので
格安(フルセットで20万円)にて購入。
全部を組むと今までの場所には収まらず、
そこをコントロールルームにして、ドラムを
倉庫内にのびのびと組みました。
両側に計4つのフロアタムがある、
巨大なセットです。
廃材のパイプを使って、マイクラックも作り
本格的な録音を目指しました。
現在、旧スタジオに一部がセットされています。
1997年
 現在のスタジオのある地に自宅を新築。

電気と水道がひかれることから、
スタジオの移設を決行。
写真の農機具小屋を自宅新築に併せて改築。

元は農地でしたが、農地転用して、
下水道の供用開始第1号になりました。

現在のスタジオからは
想像できないでしょう。
新スタジオも玄関もありませんからね。
まだ舗装はされておらず、
廃材のALCを通路がわりに敷くことで
ぬかるみを防いでいました。
農機具の収容もしなければならないため
とりあえず、ドラムブースと、コントロール
ルームの2部屋を、夜なべで作りました。
前述のドラマーの友人が
手伝ってくれました。

まだラウンジはなく、暇をみつけては、
コツコツと整備していきました。
1997年末 自宅完成
同時にスタジオも完成

まだ舗装はされておらず

僕の愛車はマーチでした。

建築資金は母と僕の折半でした。
当初は両親が老後を田舎で過ごしたいとの
希望で、両親が住む予定でしたが、やはり
住み慣れた家がいいといって、2ヶ月ほど
住んで、また、元の家に戻りました。
僕はこれを機に東京を引き払い、ここに
引っ越して家業を継ぐことにしました。
当初は宅録目的だったので部屋は2つ。
現在のプレイルームがコントロールルーム
でした。
録音はTEAC 488mkU
(カセットの8チャンネルマルチ)

まだ打ち込みはせず、生ドラムを録音して
そこにギター、ベース、キーボードを
ダビングして、
最後に歌を録音という方法でした。
ギターシンセもキーボード代わりに使用。

ミックスダウンはMDかカセットでした。
当初は自分で使うことだけしか想定して
おらず、ドラムの向きが現在と違います。
隣のコントロールルームでレコーダーを回し
たら、すぐにドラムを叩けるように、
この配置にしていました。
また、マイキングも一度セッティングすれば
変更することはないので、以前の宅録部屋で
使った廃材のパイプラックでしていました。
まだ24インチの2バスです。

このスタジオを作る1年前、
ライブハウスの建設をお手伝いしました。
それで知り合った人たちが
ここにくるようになり
口コミで広がりました。
また、プロの音楽家からも
ここを利用したいといわれ、
コントロールルームを増設。
今までのコントロールルームは
プレイルームとなりました。
録音機器はROLAND VS1680
(16ch ハードディスクレコーダー)
コンプレッサーとイコライザーで
マスタリングして、
DATにミックスダウンしていました。
その後、ラウンジや寝室なども作り
キッチンもあることから、母屋は放置。
ここで暮らしていました。
そういえば、スタジオができた頃は
住み込みで作品制作していた方も
何人かいました。
スタジオ利用者が増えたため、玄関とトイレ
(ユニットバス)を増築しました。

まだ本業をもっており、この時期はダブル
ワークでした。スタジオ代を利用して機材を
増やしていきました。
プロの方と知り合い、打ち込みの魅力を知り
ついにパソコンを導入しました。
Mac G4 400です。
まだインターフェイスは入手しておらず、
VS1680を同期させて音源を録音し、
そこに生音をダビングして、
最終的にVSでCDに焼く方法になりました。
その後、マックを使ってミックスするように
なり、CDに焼くようにもなりました。

その後、オーディオインターフェイスなどを
購入してパソコンでの録音に移行。
現在は、パソコンでの録音がメインです。
ただし、録音、ミックスともにアナログの
ミキサーを使用しています。
自分もライブ活動が活発になり、
知り合いが増え
利用者はさらに増加しました。
ガーデニングに興味が沸き
庭の整備に力を入れるようになりました。
スタジオが本業になった現在、
お客様を喜ばれるよう、さらに
魅力的な場所にすべく努力しています。
録音で知り合ったバンドが、
深夜まで音が出せることから、
練習でも、このスタジオを使うようになり、
練習のための設備を整えました。
その結果、
スタジオが練習の予約でいっぱいになり、
録音依頼を受けられなくなり、
僕自身もスタジオを使えなくなりました。
2010年
新スタジオを作るという決断をしました。
スタジオ横のガレージを囲って自分で作り
ました。ここを練習用にして、今までの
スタジオを「旧スタジオ」とし、録音専用
にすることにしました。「新スタジオ」は
ライブ練習できるスタジオにしましたが、
ここの音や一体感を活かすべく、
現在はここでも録音をしています。
その後、本業の不振もあって、
貸しスタジオを本業にし、
現在は仕事としての自覚をもち、
よりよいサービスを
利用者に提供できるよう
鋭意努力しています。